社長インタビュー

社長インタビューについて

御社の事業内容を教えてください。

弊社は主に、自動車製造の設備に使われる部品や自動車部品を作るための治工具を製造しています。
以前は自動車業界だけではなく産業機械の部品全般を作っていました。産業機械といっても多岐に渡り、例えば食品スーパーで売られるおにぎりのシートを巻く設備や、電池のフィルムを巻く設備などです。一言で言えば「頼まれればどんな部品でも作りますよ」というスタンスでした。
しかし、「何でも作りますよ」というスタンスの会社は多く、他社でもできる部品をどれだけ製造しても、弊社には独自の技術が蓄積されていかないと気づきました。そこで自動車業界に特化すると決め、今では受注の60%以上が自動車関連設備の部品になっています。
現在の弊社の主なお客様は、自動車部品製造業です。お客様が弊社と取引を始めるきっかけは、他の部品加工業者に断られて、どこに頼んでいいか分からない。しかも納期が迫っているなど、必要な部品が作れず困っていらっしゃるタイミングが多いです。短納期での受注の際には弊社では、どこまで納期を優先するのか、どこまで品質を確保せねばならないのか、お客様にきちんと相談するようにしています。そして、納期優先にせよ品質優先にせよ、お客様のお困りごとに社内が一丸となって取り組んでいます。お客様とのコミュニケーションと社内のコミュニケーション。弊社では当たり前のことですが、それができていない他社も多いのでしょうか。こういったコミュニケーションが評価され、受注をいただいています。

事業内容が変化した御社ですが、意識の変化はありましたか。

一番の変化は品質意識の変化ですね。産業機械から自動車部品に事業内容が変わったタイミングで、品質意識は高まりました。でも以前にもっと大きな変化があったのです。
今は私が2代目経営者として部品加工をしていますが、弊社の始まりは私の父が金型製造業を創業したことです。
その頃の弊社の考え方として、品質とは「職人の個人技をPRするもの」でした。言い方を変えれば「技術を誇示するもの」だったと思います。だから当時はミクロン単位での測定をせず、作業者が測って合格ならそのまま出荷していました。作業者それぞれが腕に自信もあったのでしょう。しかしその自信の裏側で、「不良が出たとしても手直ししたらいいだろう」という甘い考えもあったのかもしれません。
しかし部品加工業に転換した今や、数値やデータに基づいた品質がないとお客様とそもそもお話ができません。出荷検査に専門人員を配置し、品質確保への意識と仕組みを高めています。

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以前の御社は金型製造業だったのですね。どんな会社でしたか。

先代社長だった私の父は、ものを作るのか好き。そしてものづくり技術を人にほめてもらうのが好きな人でした。当時の弊社は経営者の父と職人の親方がいて、そしてその弟子たちがいるという一体感のある会社でした。まさに町工場ですね。彼らは自分の作ったものに対して誇りを持つ反面、もうけることには無頓著でした。でもものづくりに対する技術と情熱は、私が知っている経営者の中で今でも父が一番です。
当時は電子部品の金型を作っていました。部品の表面のなめらかさを面粗度(めんそど)というのですが、電子部品は面粗度が十分にないと強度や耐久性が下がることがあります。電子部品の面粗度は、それを作る金型の面粗度で決まります。父たちは、高い面粗度を出せる技術に大きな誇りを持っていました。
金型製造には、砥石で金型の内面を削る研磨(けんま)と呼ばれる工程があります。この研磨工程で金型の面粗度、つまり品質が決まるのです。砥石を取り付けた研磨機で金型を仕上げていくのですが、父や当時の社員さんたちの技術はすごかったですよ。砥石と金型の摩擦で発生する火花の出かたで、1ミクロン、また1ミクロンと、どれだけ削れたかが分かるのです。他にも旋盤加工をした時には、金属の削りカスが出ます。その削りカスを見て、これまた何ミクロン削れているのかが分かる人たちでした。旋盤加工、研磨加工を経て、最後に彼らが手磨きで仕上げる金型は、それはもう顔が映るほどのなめらかさ。まるで鏡のような仕上がりでした。

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当時、益山社長は会社とどのように関わっていたのでしょうか。

弊社に戻る前の私は、ある大手メーカーで経理をしてました。その会社を辞め、弊社に戻ったのは27歳の時です。弊社に戻ったものの普通の事務員として働いており、経営にも製造にもまったく関わっていませんでした。しかし入社6年目のある出来事をきっかけに私の環境は一変します。
当時、弊社にはお客様が1社しかありませんでした。そんな大事な会社が中国に進出することになりました。1ヶ月後には注文を完全になくしますよと通達があったのです。1ヶ月後に仕事が完全になくなる?その会社の売上が100%なのに?すぐには信じられなかったほどの衝撃ですよ。
当時の弊社には父と私。それに社員さんが5人いました。父と私は何とか新しい仕事を取らねばと、相談できる人には全て相談し、頼める人には全て頼みました。できる仕事は金額が安くとも全て受けました。
ここから1年は本当に大変でした。金額は安くともとにかく仕事を引き受けていたのでそれをこなすため、父は休むことなく帰宅することなく、会社で寝泊まりして仕事をしていました。自宅にいたのは1ヶ月の内、1日ぐらいのものだったと思います。日中は社員さんが製造をしてくれますが、夜になるともちろん帰ってしまいます。父は夕方からも会社に残って製造を続けていました。製造を止めることにあせりがあったのでしょう。私はそんな父を応援したくて、昼間の仕事を終えたら一度帰宅しお弁当を作り、会社で働く父の元に届けていました。お弁当を届けたらそのまま私も会社で加工を手伝っていました。とは言ってもバリ取りやネジ切りなど、簡単な加工でした。簡単ではありましたが、それまで経理しかしたことのなかった私が製造に関わる一歩目になりました。
この出来事をきっかけに弊社は金型製造業から試作品製作へ。そして今の部品加工業へと業態転換していったのです。

業態を転換した御社ですが、代表交代はどのようなものでしたか。

2000年代後半にリーマンショックがあり、またも弊社は大きな打撃を受けました。このタイミングで父が弊社の代表のまま亡くなったのです。忘れもしない父の葬儀の直前。私がこの会社を引き継ごうと決心したのでした。
私が経営者として、それまでと大きく変えたことが2つあります。
1つ目は社名です。それまでは益山製作所有限会社でした。父が「俺の会社、俺の城」という気持ちを込めて名付けたものです。それを私が現在の、「MASUYAMA-MFG株式会社」に社名変更しました。MFGはマニファクチャリングの略です。マニファクチャリングは製造という意味ですが、語源をたどると「手でものを作る」という意味合いがあるようです。自分たちの手で何かを作り出す弊社の本質にぴったりの言葉だと思いませんか。さらに「益山」のままだと、会社がまるで個人の持ち物のように感じます。ただ、先代が大切にしてきた名前なのでなくすのは忍びなく、アルファベットで残すことにしました。
もう1つは顧客構成の変化です。当時の弊社の客層は、どんな安い仕事でももらえるだけありがたいとの方針で父が集めたお客様が大半でした。もちろんありがたいのですが、長年の付き合いで固定化した単価ではどうにも利益が出ないお客様があることは私にも分かっていました。値下げ圧力の強いお客様からは距離を置く一方で、私は毎年何度も展示会に出向き、新しいお客様を増やしていきました。この取り組みにより、弊社の顧客構成は父の時代と現在で、80%が入れ替わりました。

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製造業界で女性経営者は珍しいと思います。営業活動はいかがでしたか。

確かに、製造業は男性が中心の業界。女性経営者は少数でしょうね。
それまで経理しかしていなかった私が、いきなり経営者となって営業活動を始めることになりました。お会いする人はほとんどが男性です。相手はまず、女性が製造業の経営者をやっていることに興味を持たれます。興味のその次は、「女性だけど、図面は読めるの?」「女性だけど、加工のことは分かっているの?」といったような、まるで私を試すかのような、そんな流れになります。「女性なのに製造業を経営する私」が値踏みされていると感じ、くやしかったものでした。値踏みをされるストレスはかなりのものですよ。でも、この値踏みをクリアしないとお客様との付き合いが始まらないのです。

値踏みをクリアするためにどのような努力をしてきましたか。

まずは図面が読めねばなりません。経営者になった私は、本屋に行って小学生の算数の本を買いました。展開図の理解を深めるためです。展開図の説明が書かれた本を片っぱしから買い込んで勉強したものです。これで少しは展開図への理解は深まってきたものの、お客様から支給される図面は小学生の算数よりもっと複雑です。そこで私は消しゴムを大量に買ってきました。図面を見て立体がイメージできない時には、消しゴムを小刀で削り、色鉛筆で線を引き、部品を私の手の上で再現しました。これでようやく、図面を見れば、どういう形状なのか、どういう加工をせねばならないのかが即座に分かるようになってきました。
次は加工方法です。金属加工について書かれた本を、これまた手当たり次第に読みました。本屋にいけば専門学生や高校生に向けの本が多く売っているものです。目に入るものは全て買って読みました。読書だけではなく実際に理解できるよう、それらの本を会社に持ってきて社員さんに「この加工についてのこの説明はどういうことなのか」「正しいのか、間違いなのか」「なぜなのか」について確認しました。時にはポリテクセンターの先生のところにも押しかけてお聞きしたものです。

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益山社長が代表就任して11年。振り返っていかがでしたか。

私が代表就任したタイミングでリーマンショックがあり、多くの製造業が廃業しました。廃業という判断をした経営者の皆さんを責める気持ちはまったくありません。弊社も、大手のお客様を失ったり、仕事を一方的に引き上げられたりと、何度か危機を経験しました。計画倒産に合い、もうダメだと思ったこともありました。そんな無我夢中の11年でした。 お客様の都合で仕事がゼロになる理不尽さ、つらさを味わったからこそ私は、個人の技術や勘に頼る経営ではいけないと反省しています。ものづくりをする会社として、常に技術力を高めねばならない。お客様の幅を広げていかねばならないと強く思っています。 11年やってきて分かったことは、他者に依存することなく自立できる会社であらねばならないということです。

先ほど「自立できる会社を目指す」とお聞きしました。具体的にはどのようなことに取り組んでいますか。

1つは会社としての技術力の向上です。部品加工業としての弊社の自慢は、ワイヤー放電機で細やかな加工ができることです。この加工技術をさらに高めるために弊社では、一般的にはワイヤー加工に向かないとされている素材にチャレンジしています。具体的な素材は申し上げられませんが、金属として比重が軽く、かつ、表面が荒れやすい素材を加工する技術開発に取り組んでいます。この技術開発が進めば、他社にはできない弊社ならではの自慢が増えることでしょう。
もう1つは、社員さんの成長です。私は社員さんに、自分の考えをちゃんと相手に伝えらえる人になってほしいと願っています。いくら下請けとはいえ、相手の言いなりになるだけではいけませんものね。
具体的には、今までは私が出ていた展示会に、社員さん主導で出展してもらっています。ブースレイアウトを決め、想定される来場者を調べ、当日までのスケジュールを組み、販促物を準備し、そして自ら出展してもらいます。さらに、展示するサンプルも作ってもらいます。今までずっと加工をしてきた社員さんにとって、展示会出展となると経験もノウハウもありませんでした。でも自分たちで計画し、出展し、接客する中で、少しずつではありますが自分の考えを自分の言葉で相手に伝えることができるようになってきたと感じます。
次は社員さんたちにCADスキルを身につけてもらうことを考えています。加工だけではなく設計のことまで分かると仕事が楽しくなりますものね。
技術開発。他者とのコミュニケーション。設計知識。これら3つを社員さんが備えることで、お客様と対等の立場で価値ある提案ができる会社を目指していきます。

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新たな取り組みを進める益山社長ですが、代表交代した頃の自分に伝えたいことはありますか。

今でも自分でまだまだ力不足だと感じてますよ。でも当時の私はもっと力不足だったのにそれが分からず、ぼんやりした不安しか抱えていなかったように思います。そんな11年前の私に、「大丈夫だよ。あなたがやろうと思ったことなら大丈夫」「でも先はまだまだ長いよ」と伝えたいです。
もう1つ、今でも私が後悔していることがあります。先代の父は旋盤の達人でした。でも私が父の技術を受け継ぐことができず、会社として技能伝承が途絶えてしまいました。今さら後悔しても仕方ないのですが、父が元気なうちに旋盤加工を習っておけばよかったです。

製造に関わる女性たちにメッセージをお願いします。

最近私は、製造業こそ女性向きの業界ではないかと思い始めています。製造と一口に言ってもその中身は、企画、設計、加工、組み立て、品質管理と多岐に渡ります。その1つ1つの工程に、女性ならではのちょっとした気遣いがあるといいのではないでしょうか。まるで、我が子を見る優しさや観察力のような気遣いです。この気持ちがあってこそ、本当にいいものづくりができると思います。ですので、製造業こそ女性が向いている分野なのです。一緒にがんばっていきたいですね。

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